初めまして! ブログを訪れてくれてありがとうございます。
私は普段は歯科医として働きながら、日々せどりを楽しく行っています。
中古がメインで、ジャンクの修理販売が得意です! ジャンクコンサルをやっています。
新品も消耗品リピートを中心に行っています。
今日はブログを始めて読んでいただいた方にもお伝え出来るようにのんびりと私のプロフィールを書いていきますね。ちょっと長編になったので、お時間ある時にどうぞ~
歯科医師でせどり?と思われた方もいるかもしれません。私は以前は違う職業だったのですが、脱サラし、大学へ入りなおして卒業し、今は開業医として仕事しています。せどりは歯科大に入ってから始めたものです。
高校から進路の決定まで
私は親が歯科の開業医だったのですが、高校の進路を決める際に今は歯科医院はコンビニの数より多くて特に儲からないから自分の好きな道に進んだ方がよいよとアドバイスを受け、特に強いモチベーションもなかったので好きだったデザインを学ぶ事にしました。
某大学へ入り、好きなデザインの授業を受け楽しい日々を過ごしました。その大学では自由を謳歌しすぎて、就活を全くしないという状態で卒業を迎えました 笑
一年ほどその頃始めたサーフィンをしたりぶらぶらした後、そろそろ働くかな キリッ
という感じで就活開始。
しかし現実はそんなに甘いものではありませんでした 笑
バリバリのブラック企業からのスタート
入ったのはとある旅行ガイドブック制作の下請け会社。企業の新聞広告やweb制作もやっていて何でもデザインできればいいやーと軽い気持ちで入ったのが事の始まりです。
入社初日フレッシュな気持ちでおはよーございます!と挨拶するとまず思ったファーストインプレッションは
鬱かな?
と思われし表情の人が何人もPCの前で作業をしています。顔に生気がないというか、目がまずヤバイ。
根が楽観的なので、まいっかと切り替え仕事に入りました。
そこで言われたことは
君元気良さそうだがから今日からカメラマンね!キリッ
となぜかいきなりカメラ担当になりました 笑
えーデザインはー?という感じですね。
その会社は70才くらいの社長が唯一カメラマンで、毎年作っているスイスとオランダのガイドブックをその人が行って取材し、それを会社でまとめるという感じでした。
私は社長のアシスタントカメラマンという事になりました。
入って一月ほどし、君!来週からスイスね!一ヶ月帰ってこれないよ!
といきなり取材が決まりカメラの基本知識も叩き込まれ現地へ。
君!今日から一ヶ月休みはなしで朝から11時まで取材ね!キリッ
と言われたのを今でも覚えてます 笑
しかも驚きなのがその社長が毎年取材に行っているにもかかわらず英語をほぼ話さなかったという事。
アイアムジャマイカン!
とタクシー内で言った意味不明な会話しか聞いた事がありません。
はじめての英会話という本がアタッシュケースの中に入っていてそれが印象的でした。
そのため私がつたない英語でその翌年のガイドブックのホテルやレストランの情報を現地で聞き取るというなんともざっくりとした内容でした。
ナルシス
その取材で印象的なのはナルシスというスイスの高原に一時期しか咲いていないという花の一面に咲いている写真を撮って来なければいけなく、探し回っていたことです。日程も進む中なかなかなく途方にくれていました。
社長はなぜかナルシスなのにオナシス!オナシス!と意味不明な言語を発していました。
ある日ロープウェーで登った先に一面にナルシスが咲きまくっていて、
オナシス!!!!!!!!
と社長が歓喜し2人で撮りまくりました。
そこに、登ったのが結構遅いから時間で下山するロープウェーの時間が迫ってきます。
社長に確認するも、オナシス!としか言わないので仕方なく撮り続けました。
その時撮った写真が今回のブログ記事のアイコン画像のものです。
そして撮り終えるころにはロープウェーもなくなりました。
仕方なく歩いて下山しようと道路を歩いていたらたまたまクルマが来たのでヒッチハイクし、中国の人が乗せてくれ、何とか下山出来ました 笑
その後終始そんな感じでしたが、何とか無事取材も終わり日本へ帰国。
しばらくして日本で平和な日々を過ごしていると
私の走り書きの取材シートが字が汚くて読めないという事態が多発しました。
君来週からオランダとか一人で全部行ってね!後この表紙に使うこの写真ぜったい押さえてきてね!キリッ
と無茶振りされたりして、あちらこちら駆け回ってました。
その後はロシアやオランダなど取材へ行き仕事自体は楽しかったです。
勤務形態がヤバすぎで、22時くらいまでほぼみんな働いていて終電にかえるのが日常化している感じ。徹夜で仕事してそのまま働くという事もよくある感じでした。
ある日会社の通路で人が倒れてる!と思い見ると社長が寝ていたりそんな感じでした。
その後仕事自体は楽しかったのですが、勤務形態を変えたいと思い、その会社はやめました。
次に入ったのは銀座の画廊
次はゆるく働きたかったので、勤務形態のゆるーい場所を探しました。
画像加工スタッフ募集というなんともゆるそうな場所でよく見ると画廊とあり、私は元々絵が好きだったので、何となく良さそうと軽い気持ちで応募しました。
そこの社長が結構またくせというか味のある人で、なぜか私はとても馬があいました。
小人数の会社だったので、入社してからは、画像加工以外にも、ホームページの管理や毎日届く絵を写真にとってホームページにアップする仕事や、対面で販売する営業もやっていました。
特に社長はデザインへのこだわりが強く、ホームぺージを日々改装したがります。入った当初、業者につくってもらったやつが、自分の所でいじったのか、しっちゃかめっちゃかになっていました。
私は大学でプロダクトデザインの特にユーザビリティ(物の使いやすさ)を学んでいたので、ホームページを直してくれと言ってきたのですね。
ホームページの制作の知識はなかったですが、それから独学で少しずつ学んでは直すという日々でしたね。会社には一人選任のホームページ管理プログラマーがいたので、その人と2人3脚で直す日々が始まりました。
なんでも検索といって絵のイメージを入れると一覧が出てくる機能や、Web上での展覧会など様々な機能をいれました。
面白いもので、使いやすくなったり、面白い内容で充実してくると、購入する人が徐々に増えるのですね。実感できて楽しかったですよ。
大本の原因を考えて、直す作業は今やっている歯科の治療にとても通ずるものがあります。
また、その仕事の合間に、その会社は販売スタッフが少なかったので、画廊で絵の説明と販売を行っていました。
そこがよかったのは、日本画から洋画まで幅広く扱っていて、本画といって複製画ではない油絵絵や水彩画だと、モノによっては5千 万 円くらいのやつまでありました。毎日本物の作品と触れ合えたのはとてもいい経験だったと思います。
今でもそのころの経験で鑑定団とか見ていてもこれは値段つかないなとかこれはいくらくらいだなとか概算でわかるようになりましたね。
その感覚は今やっているせどりの特に中古せどりに活きている感ありますね。
そこでの思い出はたくさんありますが、今でも覚えているのが、ある日後輩が、絵の管理をしていたら、仏像を倒してしまって、絵に穴が開いてしまったのですね。倒した先がアンディーウォーホールのシルクスクリーンの4枚セット。4枚で1千万くらいの品です。しかもよりによって社長が少しまえに買った違うウォーホールが贋作で、お客さんに訴えられていたのですね。ウィーホールはNYの画廊が発行する証明書があるのですが、それが偽物だったとの事。その作品は丸々ぱーです。
そしてその後本物を4枚セットで入手できたと思った矢先に穴があくという。。。
その後輩は毎月給料から1万円びきになりました。その程度で許す社長は寛大ですよね (笑)
結局その会社は毎日面白すぎて6年程在籍していました。
転期
ただそんな楽しい日々の中、心の中で葛藤がありました。
ホームページを直すのは楽しいけど、それで喜ぶのは社長だけだし、使っているお客さんの顔は見えない。何かが違う。
ポスターを作って自己満足はできても、何か違う。
絵を売るのも楽しいけど何か違う。
何かが違う!!!!
そんな葛藤が大きくなり、特に次の会社が決まっているわけではないけど会社を辞める事にしました。
それからこれから何をしようかと日々だらだらと考えていました。
どうせ自分の情熱を傾けるなら、何かもう少し大きな枠組みに挑戦したい。
そんな思いでした。
そんな矢先思いもせず、実家の母親から、いまだったらローンの関係で歯科大に通わせることができるというような話をしてくれたのです。
それを聞いて実家の父から聞いた様々な歯科の治療の話を思い出していました。
毎日患者さんが喜んでくれる。野菜やお菓子をしょっちゅうもってきてくれ、友達のような感じで仕事をしている様子の話の数々。
それはやりがいがあるだろうなと。
その話をきいたその瞬間に、よし!と決めてその日に歯科大の願書を取り寄せる準備を始めました。
歯科大へ
ひとしきり、受験などし、前の大学の教養課程の単位があったので、2年からの編入ではいれる事になりました。
入ってからびっくりしたのは、毎日ぎっしりと詰まった授業、そしてテストはなんと20科目です (笑)
前の大学など、芸術系なのでじつに緩く、ジャックダニエルを学校でのんだりとみんな破天荒な感じでした。
医療系は流石にそんな影はみじんもなく、3科目欠点になると即留年です。
そのころは仕事の延長戦上におもっていたので、時間の使い方の効率化が身についていたためか、特に勉強で大変だと思ったことはないですね。
要領よく過去問回してもらったり、要点を押さえて勉強したりと割とスムーズにでき、おお、俺も少しは大人になったなと思ったものです。
せどりをはじめる
そんな中、勉強はさらっとやり時間にも余裕がでてきたので、何かしようと思い、その当時は学生なのでとにかく金がなかったので、何とかしようと思っていました。ただ、さすがにバイトだと時間が拘束されるのでさすがにそれは避けたかったのですね。
そこで身の回りの物を処分しようとおもいブックオフに持っていったりしていましたがあまりに安いので、ネットで調べると、どうもアマゾンで売ると高いらしいという情報がありました。
そこでよくわからなかったので小口出品で登録してだしてみたところ確かすぐ売れたのですね。
おお! これはいいと、次は身の回りの家電を出してみました。そうしたらこれもすぐにうれてしかも2万とかになったんですね。
その時売ったアイポッドナノ の8Gを売ったあとにメルカリで安く同じ商品が出ているのを見て、まてよこれ仕入れたら売れるんじゃね?
と思いやってみたら案の定即売れしました。
これはいいと なかばアイポッドナノ屋さんになりアイポッドのみをひたすらメルカリでリピート購入Amazon販売していました。
ただそのころせどりとゆうものがこんな大きな規模で出来るとはしらなく、まあ小遣い稼ぎ程度しかやっていなかったですね。
あとは本もブックオフで仕入れて売ったりしていました。
学生時代はこんな感じで緩ーく小遣いかせぎしてましたね。
研修医から現在
その後歯科大もおわり、研修医となりました。
そのころは流石に時間に追われ、せどりはやっていなかったです。
久々にやりだしたのは、研修医が終わり開業医で勤務したあと、あまりそこが合わず、職場をかえるため3か月ほど無職だった時期です。
当時はまだ研修医おわって間もなかったので蓄えもそんなになかったです。
そこでせどりを思い出し、やりだしました。
ネットをしらべていたら、どうも家電もアイポッドだけではなく(笑) 様々なジャンルを複合的に他の人はやっているらしいと知り、ハードオフ巡りを開始します。またその時期にハードオフのジャンクコーナーで安く仕入れて修理し、高値でAmazon販売するという手法を知りました。
これだと資金がなくても少しずつ増やせます。その当時はジャンクプリンターばかりやっていました。車の後部座席にマックス20台くらい入るので、ハードオフを回りひたすら回収。家に持ち帰りひたすら修理する日々。
一台2000円で買ってきたやつが、修理して治すと1万6千円で売れたりとかよくありました。
そのようにしてその時期も食いつないでいくことが出来ました。
せどりにその時期救ってもらったと思います。
せどりのよさってそこだと思います。
一つの収入源(キャッシュポイント)がなんらかでたたれたとしても、せどりが出来れば、生きていける。
それはかなり精神的にも安定します。
私が今腕が最悪無くなって歯科医師人生が絶たれたとしてもまあせどりでいきていけますね。
現在
その後、実家の父親が体調が悪くなり、急遽病院での診療交代となり、現在に至ります。
最近は中古の修理時間を割けないので、効率のいい新品せどりや、トレンド、予約転売、Amazon刈り取りなどにシフトしていっています。
ただ、中古は私のせどりの原点であり思い入れが強いので、何とか取り入れられないかと考えた結果、以前から出品代行を外注化しているのですが、新しくいい代行会社が見つかり、そこで写真撮影からなにからやってもらえることになりました。なのでこれからは、店舗や電脳で仕入れたらすぐに直送して何しなくてもいいラクチンせどりです。
さてこんな感じで現在は日々患者さんを治しながらも好きなせどりを日々やりまくっています。
長らく文章読んでいただき有難うございました。
中古の修理は様々なノウハウあるので今後お伝えしていきますね。
また、私が日々やっている効率化した新品せどりもこのブログで日々配信していこうかと思います。
私が学生時代にみたせどりのサイトのように初めての人にも分かりやすい内容と、中上級者の人にも有益な情報を日々お伝えしていければと思っています。
このブログが誰かのキャッシュポイントを作る手助けになれば幸いです。
歯科の情報も大事なので、載せます。セドラーの歯が悪くならないように私が得た情報を伝えていきますよ!
それではまた明日!